1989年11月

ベルリンの壁、その昔ドイツは二つあった。

 


1950年代からの冷戦で、40年近くベルリンは分断されていたのです。1990年のブレーメの決勝PKは西ドイツ代表でした。
 
1980年代も終わる頃、自由を求める東ドイツの若者たちは毎夜毎夜、無言で壁の間際まで行進し、その熱は遂に東ベルリン全体へ広がります。何か言ったりプラカードなんか出してはいけません。反逆罪になるからです。
 
そして遂に、1989年11月末、集団の一角が壁を乗り越えます。最初の一人目の人は散々テレビに出てた気がします。
 
それからはあっという間。何ていうのでしょうか、私、それまで世界のしきたりって何だか偉い人が決めるもんだと思っていました。でもそうじゃなかったんです。
 
西ドイツのテレビ局は次々と壁を乗り越える若者を写してました。
 
西ドイツ政府は、壁を乗り越えた東ドイツの人には、もれなく100マルクをプレゼントしました。
 
ちょうど、ウォークマンが買えるぐらいの額なんですよね。
 
え?ウォークマンってそんな安かったっけ?そうなんです、高級機が売れていたのは日本だけ。欧米では、80ドルぐらいで、最低限の「オートリバース、アンチローリング」が付いた、バネボタン式、電池二本のものが主流だったのです。ラジオ番組とかでプレゼントしてたのもそういうモデル。10ドル足せばラジオ付きのやつです。リベラルなオーディオ評論家の方々は、あのモデルを日本でも売れって息巻いてました。こんなのです。セカチュウの二人はお小遣い足せば買えたんじゃないですかね、これなら。
 
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そうして、なけなしの100マルクを使って、ウォークマン、カセット、マクドナルド。浴びるほどロックを聴く。もうそれだけが目的だったのかもしれません。
 
自由の象徴だったなぁ。今そのモデル、結構ebay で売られてます。2000円ぐらいですかね。機構が簡単なのと、大量に売れてるので修理すればまだまだ動くみたいです。あの評論家の方、今なら2000円で買えますよー。
 
数年もしないうちに、ドイツは統合され、何もかもぜえんぶ東に流れて行ったのですけど。
 
何が言いたいのか。あの年、あの日にはロックとウォークマンが必要だったって事です。