ビートルズ専門家

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という職業が、かつてはあった。テレビの鑑定番組にもいた。熱烈なコレクターで、深い理解と作品・アーティストへの愛情。そして異常なまでの情報量。人当たりが良く、誰でも好きになるような人。エキストリームなナイスガイを演じながら、鬼の執着心があるような人。それが研究家である。俺だってそんな人に憧れる。

かつてはそれを名乗るまでには、多大な努力と、様々な犠牲が必要だったはず。おいそれとなれる存在ではないのだ。

でも今はどうだろう。専門家と呼ばれる人はいなくなり、あれだけ文章力の高かったコレクターズだって、他の音楽ファンジンと変わらない。専門性は個人に偏ることなく、皆の「ちょっと好き」に分散し、一人一人の知見を集めれば、嘗ての専門家に近い情報はすぐ手に入ってしまう。

ビートルズで言えば、極め付けは2009年のリマスターだろう。1990年代の初CD化の時を楽しみな反面、レコードとほぼ同じ情報量またはそれ以下だった結果を知って一番安心したのは、専門家達かもしれない。自分達の専門性は守られたからだ。ビートルズ研究家で居られるのだ。

ところが2009年のリマスターは完全にインターネット時代の情報操作、つまり民意で作られ、ステレオに限って言えばほぼ、決定版と言える内容だった。個人的にはあそこが転機だったと思う。なんでも手に入ってしまう。

わかるのだ。

「こいつら、楽しみながらポールの作業をして、事もあろうにビートルズのレコードを作っちまった」

って。それは素人にだってわかった。

専門家による情報世界は瓦解し、今や絶滅したに等しいのかもしれない。自分達は単なる多くのフォロワーの一人であり、それは「へぇ」ぐらいのことでしかないのだ。ファンがビートルズのオリジナルレコードを作るなんてことはあってはならなかったのだ。少なくとも2009年までは。

ビートルズはフラワーカルチャーのバンドではないし、フェスにも出ない。出るたびにベーシストが変わったりしない。民意なんて必要ないのだ。ポールであり、ジョンであり、リンゴであり、ジョージである事が大事だった。

俺も痛快だと思った。2009年のリマスターは。でもその反面、ビートルズが現れることはもう二度とないのだなぁと実感したのだ。

アップルがビートルズの配信を始めた時、1965年ぐらいのライブを流してた。ボールは歌もベースもMCもやったし、マイク位置も変えたしなんでもやっていた。ようするに、当時のただのロックバンドで、リーダーのポール、頑張ってる!

1965年にはキャーキャー言うアホなギャルしかその姿を追っていなかった。

でもそんな目撃談のようなものに一番価値が出る時代になるなんて誰が思っただろう。